豊穣たる熟女たち |
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豊穣たる熟女たちと北鎌倉を歩く |
豊穣たる熟女の皆さんと紅葉を求めて鎌倉を散策した。北鎌倉駅で降りて、鎌倉市街に向かう街道沿いに、円覚寺、東慶寺、浄智寺、建長寺、鶴岡八幡宮と巡り歩き、午後は江ノ電に乗って長谷までいき、長谷寺の観音様と高徳院の大仏様にお参りしようという計画だった。夕方東京へ戻ってからは、新橋の高架下で一杯やろう、とも申しあわせていた。 朝方八時半に東京駅の地下ホームで待ち合わせをした。三人ともいたって元気そうだ。ヤア、お元気そうでなによりだね、と筆者が挨拶をすると、毎日が日曜日でリラックスしているわりには、恰幅がよくなっていないわね、心持背が伸びたように見えるのは、リラックスのあまり、体がふやけたからかしら、などとT女が冷やかしをいう。我々のランデブーは、いつもこんな冷やかしから始まるのだ。 横須賀線の通勤列車は品川あたりでガラガラになった。窓の外を見ると、うらうらとした日の光が、下界一面を包んでいる。今日はよいハイキング日和りになりそうだ。 九時半に北鎌倉駅に着く。結構な数の人々が一斉にホームに吐き出される。その人の列は一目散に円覚寺の門前を目指す。我々もその列に加わって、円覚寺の門前に至った。 仏殿に参拝した後、裏手の妙香池の方に向かった。池の周辺は楓のモミジが美しく色づいている。その紅葉を水面に映した池のほとりに、一羽のカワセミが木の枝に止まっているのを、熟女たちが見つけた。ほら見て、青や赤の原色の組み合わせがいかにも色鮮やかでしょ。そういわれて、あわててカメラのシャッターを向けると、気配を察したのか、カワセミは別の場所に飛び移ってしまった。 境内を一周して、鐘楼のある丘に登る。ここの洪鐘は、鎌倉で一番大きいのだそうだ。戦争中の徴用を免れて、今では国宝になっているそうだ。 次いで東慶寺を訪ねた。ここは徳川時代の縁切寺として知られていることもあって、とかく女性の関心を集めるところだ。熟女たちも大いに関心を示した。門前にちょっとした石段がある。これを登りきれば縁を切ることができたのよ、でも中には、石段の途中で力尽きて、引きずりおろされた女性もあったのよ、と熟女たちは歴史の彼方に思いをはせる。 ここは、明治以降は文人たちと縁が深く、そのせいで、西田幾多郎、和辻哲郎、鈴木大拙といった人の墓があるんだ。筆者がそういうと、熟女たちは墓案内をしてくれろと筆者にねだる。だが筆者にはそこまでの知識はない。行き当たりバッタリにみかけた岩波茂雄らの墓を指さして、カッコをつけた次第であった。 浄智寺では、初めて裏手の方にまわってみた。するとかなり懐が広いのに驚いた。一番奥まったところに洞窟があり、その入り口に布袋様の石造がたっている。その腹があまりに見事なので、皆でなでる。誰でも考えることは同じらしく、布袋様の腹は人間の手のひらの脂でテカテカに輝いていた。 このあたりで十一時時近くになり、朝から大分時間が経過したので、喉が渇いたわ、と熟女たちが言いだした。そこで、街道沿いにある小さな喫茶店に立ち寄ってコーヒーを注文した。これがなかなかうまい。こんなところで、のんびりとした風景を眺めながら、コーヒーを飲むなんて最高の気分ね、と熟女たちは至って機嫌が良い。彼女らが機嫌がよいと、筆者はうれしいのである。 建長寺では、思い切って半僧坊まで行ってみた。そこから勝上献の展望台まで上れば、鎌倉の市街が一望できる、ということは熟女たちも知っていて、是非上ってみようということになった。しかし、昇りの石段はかなり勾配がきつい。そこで最年長のM女は途中で脱落してしまった。わたしはここで休んでいるので、あなたたちでいってらっしゃいよ、というのだ。そこで、残りの3人で体力を振り絞って、展望台まで上った次第だったが、その努力は大いに報われたといえる。というのも、そこからは、富士山が遠望できただけでなく、鎌倉の市街を一望できたからだ。手前には建長寺の伽藍群が展開し、遠くには鎌倉の海が広がっている。 左手の材木座あたりと思われるところに大きな塔が立っているが、あれは灯台だろうか、と筆者が言うと、あらやだ、あれが灯台に見えるなんて、あなたおかしいわ、ごらんなさいよ、てっぺんから煙が出てるじゃない、灯台が煙を吐くわけはないでしょ、あれはごみの焼却場よ、と熟女たちは反論する。ううむ、そうかもしれない、あなたたちのいうとおりかもね。 鶴岡八幡宮には裏手から入った。建長寺から南下してきた道沿い石段がある。それを数歩上ると、神社の立つ場所に出る。参拝して眼下を見下ろすと、神楽殿の向う側に参道が伸びているのが見える。右下一角には、かつてあった巨大な銀杏の木は存在せず、切株の残骸のようなものがあるのみだ。その残骸のまわりを柵で囲んで、かつてあった銀杏の巨木を、忍んでいるように見えた。 切株の中からは新しい芽が伸びているというのでよく見ると、なるほどそれらしきものが見える。まだ生まれたばかりの若株が、三十乃至四十センチばかりに伸びているのだ。これがかつての威容に近づくには今後数百年を要するだろうと思うと、気が遠くなるような感じがする。熟女たちもその若株に無心に見入っていた。 昼食は段蔓沿いの精進料理屋でとった。峰本と言う店で、ネットで見つけたのだが、これがなかなかに混んでいた。暖簾をくぐったのは午後一時半を過ぎていたが、その時間でも客が順番待ちをしていたほどだ。平日の昼飯時を過ぎた時間だというのに、この混雑ぶりはどうだ、と驚いた次第だったが、出されたお膳はなかなかの味だった。精進料理を基本にしながらも、刺身を一皿添えるのを忘れない。そこが心憎い。精進オンリーだったら、熟女たちは満足しなかっただろう。 |
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