豊穣たる熟女たち
HOMEブログ本館続壺齋閑話東京を描く日本文化水彩画あひるの絵本プロフィールBBS

豊穣たる熟女たちと成田山に参る



成田には三時過ぎに着いた。駅を出ると裏道を伝って新勝寺に至る参道へ出た。参道の人出は土曜日にかかわらず多くはない。近年は参詣者の数が減っているのだろうか。参道沿いに空き地が目に付く。昔は何軒も軒を並べていた羊羹屋も、いまでは片手の指が余るほどだ。

門前坂道沿いの賑やかさも感じられない。時間のせいかウナギを裁いて見せるようなところもほとんどない。どうもすっかりさびれたという印象だ。

本堂にお参りした後、背後の公園を散策した。丘の上には梅の花がかすかに咲き残っていた。丘を下りて池の方に回ると、桜が五分咲きになっているさまが見えた。佐倉の桜とはまた違った趣だ。

名取亭の手前で、散策する人にお願いして写真をとってもらった。上の映像がそれだ。四人並んだ我々の背後に桜の咲いているのが見えるだろう。

池には大勢の鯉が泳いでいる。佐倉の城址公園の御濠にもでかい鯉が泳いでいたが、こちらのはそれより一回り小粒で、料理にかけたらうまそうに見える。こいつを油で軽く揚げた後じっくりと煮込んで甘酢仕立てにするとうまいんだよ、と熟女たちに言ったら、あなたは食べる事ばかりなのね、折角の雰囲気が台無しだわ、と叱られた。

M女の疲れが激しいようなので、なるべく緩やかな道を選んで歩いた。それでも成田山は起伏が多いので、道を選ぶのに難儀する。なんとかだましだまし歩いて駅まで戻った。途中参道にある鷹匠本店という漬物屋に入り、それぞれ気に入った漬物を土産に買った。小生はウリの鉄砲付けを二本買った。

帰りの京成線の列車はかなり混んでいた。外国人の観光客がでかい荷物を持って車内に充満している。それでもY女とM女はちょっとした隙間を見つけて潜り込んだ。小生とT女は腰かけることができなかったが、佐倉でT女が、勝田台で小生が席を見つけ、それで四人揃って腰かけることができた。

船橋へ戻ったのは六時頃だった。我々は東武線の高架下にある土風炉という居酒屋に入って、ビールを飲みながら一日の反省を行った。

今日はすっかり疲れてしまったけれど、とても楽しかったわ、と熟女たちは口を揃えて言った。桜もよかったけど、歴博も勉強になったわ。

そこで何が特に勉強になったか聞いてみたところ、昔の人の暮らしぶりがわかりやすく展示されているのが良かったと言う。昔の家は周囲に壁がなく、しかも板敷になっているので、冬は寒かったに違いない。よくこんなところで平気で暮らせたものだと感心しました。でも、「セゴどん」を見ると、みな掘立小屋に吹き曝し同然で暮らしている様子が伝わってくるので、昔の人は我慢強かったんだと思います、となかなか殊勝なことを言う。

T女が小生に向かって、あなたも「セゴどん」を見ていますか、と聞くので、ああ、見ているよ、僕の母親は薩摩おごじょで、僕は母親から西郷さんを敬愛するように育てられたんだ。だから西郷さんが活躍する番組には目がないのさ。

その母親は七十歳になる前に亡くなったんだけど、晩年は脳梗塞がもとで認知症に陥り、実に気の毒な最期でした。僕も母親の遺伝子を受け継いでいたら認知症になるリスクが高いので、用心しています、と言ったところ、あなたは認知症にはなりませんよ、だっていつも頭を使っているから、と熟女たちは慰めてくれるのだった。だがそのついでに、もしかあなたからの連絡が途絶えたら、認知症になったものと思って、あなたの不幸に同情しますとも言うのであった。

M女のご亭主は認知症ではないが、身体能力がすっかり弱って、いまでは人の手を借りなければ生きていけないのだそうだ。幸い養護老人ホームに入れることができて介護の負担からは解放されたけれど、経済的な負担は相当のものだそうだ。その金額がバカにならないので、今の世の中はなんでも金次第だね、と皆で頷きあったのであった。

そうですよ、金がなければ葬式も出してもらえない、と誰かがいうので、これからの時代は金があってもなかなか葬式を出せないようになるのさ、と小生が解説した。我々団塊の世代が大量死を迎える時代になって、死んだ者を焼くための焼却炉が絶対的に不足しているんだ。火葬場の建設には根強い反対があって、火葬炉がなかなか増えないからさ。そう言うと熟女たちは、いやあね、死んでもなお苦労するなんて、と言いながらため息をつくのであった。

うちの近所の人たちはだいたい都営の瑞江葬儀所で焼いてもらうんです。あそこは結構多くの火葬炉があるように見えるけど、やはり足りないのかしら、とM女が言うので、僕はあの火葬場の所長を二年もやっていたので、よくわかりますが、物理的に遺体を焼却できる能力は一日あたり二十五体にすぎない、と解説を加えてやったのであった。これでは今後劇的に増える遺体の受け入れにとても間に合わない。火葬炉の建設は本来市町村の役割なのだから、市町村はもっと火葬場の建設に力を入れるべきなのです、と。

話がこんな方面に流れてしまったのは、佐倉の博物館でしっかり勉強したせいかもしれない。

ところで今年の夏は会津に旅行しましょうとなってましたけど、会津には何回も行ったことがあるし、できたらもっと違うところに行ってみたい、と熟女たちが話題を旅行の方へと切り替えた。ああ、どこでもあなたたちの好きなところに連れてってあげるよ、そう小生が言うと、熟女たちはしばらくああでもないこうでもないと話し合ったあげくに、どうかしら、水上温泉なんて、と提案してきた。

水上温泉もなかなかいいところだよ。お湯もいいし、温泉に浸かったあとには谷川岳に登るという手もある。あそこにはロープウェーがあって、山上まで運び上げてくれるから、M女の脚でも大丈夫だと思うよ。

小生がそう言ったところ、熟女たちはみな揃って賛成したのだった。そんなわけでこの夏の旅行は水上温泉方面に行こうということに決まりました。





HOME 次へ









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2012-2018
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである