豊穣たる熟女たち
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豊穣たる熟女たちとの新年会:本八幡うえだ別館にて


豊穣たる熟女たちと(2014年の)新年会を催した。場所は本八幡の和食料理屋「うえだ別館」。以前このメンバーで利用したことがある。ほぼ一年ぶりに座を共にするとあって、おのずと話がはずんだ。

まず、この正月にタイに旅行したというY女に話を聞いた。タイはいま反政府派のデモ騒ぎで大変だ。騒ぎに巻き込まれなかったかい、と訪ねると、自分が行ったのはバンコクから遠く離れた島だったので、全く静かなものでしたという。そこへ行くのは、バンコクから一時間ほど飛行機に乗り、更に船に乗るのだそうだ。島の中は、まるで太平天国のようで、それは静かでしたよと言う。フーム、そんなものか。

その島には三男が暮らしているのだそうだ。そこで、これを機会に家族が集まることになったが、そこにはフィンランドに住んでいる次男も駆けつけてきた。なかなか国際的な家族なんだね、と感心した次第だった。島の名前を忘れてしまったのが残念だ。

T女は、姉さんが病気で倒れたりして、この一年は大変だったそうだ。それでもまあ、元気で生きて来ましたよ。今年も頑張っていきたいと思いますので、宜しくお願いしますという。こちらこそ、どうぞよろしく。

M女は昨年定年を迎えたが、会社の方で延長してくれたので、引き続き働いているという。まだ体力は残っているので、体の続く限りは働いていたい、などと殊勝なことをいう。ただ、知力の衰えの方は如何ともなしがたいのだそうだ。

知力の衰えで悩んでいるのは、あなただけではありません。かくいう小生も、近頃はすっかり記憶力が衰え、人の名前などすぐに忘れてしまいます。でも、人の名前や固有名詞を忘れるのはまだいいそうで、普通名詞を忘れるようになると危ないのだそうです。例えば、目の前の箸とか、どんぶりをみて、その名前が言えないようになったら、本当に危ないと思った方がよい。逆に言うと、まだ箸という普通名詞を言える間は、そんなに深刻に受け取ることはない。

話題は次に小生に向けられたので、悠々自適というか、晴耕雨読というか、とにかく勝手気ままに毎日を過ごしています。家内のほうはまだ勤めていますので、主夫のような役柄を果たしています。日中は家の掃除をして、自分の食事は自分で支度し、夜は夜で炊飯と風呂の準備をして、家内が帰ってくると玄関まで出迎えます。まあ、いってみれば、髪結いの亭主のようなものですよ。

食事の支度は大変でしょうというので、いや小生は料理をするのが趣味なので、かえって自分でできるのが楽しいのです、と答える。皆ほんとかいな、という表情をして小生の顔を見つめたが、すこしも誇張はありませんよ。

そこで料理の話題と相成った次第だった。T女は目下「なめろう」に凝っていて、休みの日には自分の手でナメロウを作って食っては楽しんでいるのだそうだ。アジを三枚におろしてこまかく切り、それにネギと二三の調味料と味噌を加え、捏ね上げるのだそうだ。ナメロウは、筆者も安房鴨川で食ったことがあるので、その味はよくわかる。たしかにうまい。T女がはまるのも無理はないと思う。ところで、どこでナメロウの作り方を覚えたんだい、と聞くに、誰かに連れてってもらった料理屋で、板前さんから作り方を教えてもらったのよ、という。その板前さんは房州の出身に違いない。ナメロウはたしか房州の郷土料理だから。

それからニンニクのことに話が移った。T女が最近凝っているものに、もう一つ黒ニンニク作りがあると言い出したからだ。皮をむいたニンニクを炊飯ジャーの底に並べて「保温」の状態にして一日置く。次の日にはニンニクをひっくり返して、また同じ状態で一日置く。こうして下準備をしたニンニクを、今度は数日間天日干しにする。するとニンニクが次第に黒くなっていって、しまいには「黒ニンニク」になるのです。これがとてもおいしいんです。あなた方もやってごらんなさいな。

そこで筆者は、いつか秋葉原の縄のれんでニンニクの丸揚げをそれぞれ一人一個づつ食ったことがあったけれど、あれはおいしかったね、と口を挿む。Y女もM女も相槌を打つ。だが、T女の方は、おかげで亭主から散々嫌味をいわれて困りましたわという。家じゅうがニンニク臭くなって迷惑だから、今後ニンニクを大量に食うことを禁ずるというのだ。

それはまた、辛い宣告でしたね。ところで、小生はいつかニンニクのたまり漬けを自分で作ったところが、なかなかうまくいかない。ニンニクが柔らかくならないのだ。こういって作り方の教授をお願いすると、生のニンニクをそのまま醤油に漬けてもいつまでも柔らかくはならないから、電子レンジでチンしてから入れて見なさいよ、とみな口をそろえて言う。わかりました、今度はそうして見ましょう。

こんなわけで、例の通り話題はいつまでも尽きるところを知らない有様だったが、時計が9時半を指したところで解散することとした。今度は初夏の頃に、どこかへ新緑を浴びに行きましょうよと話しあいながら。





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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2012
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