豊穣たる熟女たち
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豊穣たる熟女たちと1年9か月ぶりに会食する



豊穣たる熟女の皆さんと1年9か月ぶりに会食した。コロナ騒ぎが落ち着いてきて、例の緊急事態宣言が解除されたので、町には人が繰り出していると、テレビニュースを見るにつけて、日蓮上人の言葉ではないが、互いに「こいしこいし」という思いが積み増して来て、久しぶりに会って食事でもしましょうということになったのだ。けれども、騒ぎは完全に収まったわけではないので、大事をとって、お昼ご飯をご一緒しましょうということになった。

そこで昼頃、船橋駅の構内でT・Yの両女と待ち合わせをした。M女とは相変わらず連絡がとれない。電話をすると、呼んでいるのに出てこないのは、警戒心が強いせいだろう。ともあれ三人肩を並べて船橋の目抜き通りを歩き、東魁楼という中華料理店に入った。数年前、嵐の吹き荒れた日に、四人で食事をした店だ。この日は大変な込みようで、席につけるのに30分以上かかった。まあ、お互い暇な身だからゆったり構えていきましょう。

とりあえず生ビールで乾杯する。町の食堂で生ビールを飲むのは今年はじめてのことだよ。そう言いながら飲むビールの味がのど越しにさわやかだ。つくづく生きている実感がわく。

T女の髪が銀色に光っているので、染めているのですかと聞くと、ええ、そうなんです。ロマンスグレーならぬシルバーグレーを楽しもうと思いまして。でもご覧のとおり、半端なシルバーで、だいぶゴールドが混じってるでしょ、と言うから、たしかにシルバーとゴールドが重なって菩薩様の頭のように見える。

あなた様はだいぶスマートにおなりですね、何かしておられるのですか、それともどこかお悪いのですか、それにしては御顔色がよろしいようですが、と熟女たちが言うので、健康の状態は、最近やや頻尿気味なところを除いては至って順調です、医者にも年よりすっと若々しい健康状態だと太鼓判を押してもらいました。体重が減ったのは、りんご酢を飲用している効果です。一年以上前から毎朝りんご酢を飲み続けたところ、体重を四キロも減らしました。

すると、私は黒酢をずっと飲み続けていますけど、ちっとも体重が減りませんよ、とT女が言うので、酢といっても、りんご酢でなければダメなようですよ。その証拠と言っては何だが、あなたはかえってふと目になっている。痩せたければ、りんご酢に変えた方がいいですよ。りんご酢って、ミツカンのでもかまわないかしら。小生の飲んでいるのもミツカンです。安くて減量効果がありますので、是非試してみたらよろしい。

頻尿の原因は何ですの、とY女が聞くので、小生の場合は前立腺肥大が原因のようです。前立腺が肥大すると、ふつうは尿が出にくくなるのですが、場合によっては頻尿になるようです。そう説明すると、女にも頻尿はありますけど、前立腺はありません。女の頻尿の原因は何かしら、と聞くので、おそらく肛門括約筋が緩んだせいでしょう。肛門括約筋が緩むと、尿の出をコントロールできなくなると言いますから。そう言うと熟女たちは、どこか割り切れぬような表情を呈したのであった。

ところで、先日の地震には驚きましたね、小生は部屋から飛び出して玄関の外に非難したくらいです、と小生が話題を変えるつもりで言ったところ、私たちも本当にびっくりしました、数年前横浜で遭遇して以来の大きな地震でしたよと声をそろえて言う。あの時は本当に驚きましたね、しかも二度にわたって大きな揺れが来た。今回は一度で止まったので、非常に安心しました、そう小生が言ったところ、私たちの生きている間は、地震でひどい目にあわないで済むように祈るしかありませんね、と殊勝な言い分。小生はもう、いつ死んでもおかしくない状態ですが、あなたがたはまだこの先三十年そこらは生きるでしょう。だから巨大地震に遭遇する覚悟をしていたほうがよろしいですよ、と半分脅かしめいたことを言った次第。

そのうち料理が出てきた。特製ランチを注文したところ、四つの小皿にわけた料理が出てきた。エビのピリ辛ソース炒め、カシュウナッツとタケノコの炒め物、中華風冷菜と小籠包である。それに卵スープとライスがついて1500円は、かなりのコストパフォーマンスだ。

T女は今年の春にすべての仕事をやめ、悠々自適の生活だそうだ、Y女はまだ短時間のパートをしているが、それは健康のためが半分と、亭主の束縛を逃れるのが半分だそうだ。あなたは毎日どのようにして過ごしてなさるのですかと聞くので、毎日判で押したような暮らしぶりです。七時に起きてラヂオの語学番組を聞いた後朝飯を食い、午前中は書き物をします。手作りの昼餉を食った後一時半まで昼寝をし、午後は読書と散歩にあてます。夜はデレっと過ごします。そう言っている矢先に携帯電話のけたたましいベルが鳴った。これは昼寝のために設定した目覚ましの音なんですよと弁明する。すると、素晴らしい毎日ですわ、とうらやましがられた。

食後、腹ごなしのために、船橋大神宮まで歩く。東魁楼から二百メートルほどのところにある。途中海老川にかかる橋を渡ったので、この橋が船橋の地名の由来になったのさと説明してやる。ここに船を並べて橋としたのさ。それを船橋といい、その船橋がそのまま地名になったわけだ。佐野にも有名な船橋があったが、その橋よりも佐野の地名のほうが有名だったからそのまま佐野と呼ばれつづけた。佐野はなにしろ、奥州藤原氏発祥の地だからね。そんなことを説明すると、あなたと御一緒するといつも利口になったような気がします、と御世辞を言われた。

この橋のあるあたりに昔美術学校があって、小生は高校時代に通っていました、と言うと、あの佐倉からわざわざここまで通ってらっしゃったのですかと感心する。そうです、その頃はまだ向上心に充ちた少年でしたから。

大神宮の境内の一角に日清・日露両戦役の戦死者の慰霊塔があり、その上部の小高い丘の上に小さな木造りの灯台がある。これは千葉県で最初に設けられた灯台と言われています、と説明すると、いまでも灯台として使われているのですかと聞かれる。いや、観光のために灯がつけられることはあっても、灯台としての実際の機能は果たしていないと思いますよ。

そうこうしているうちに、いい時間になった。亭主が待っているでしょうから家に帰りましょうと、彼女らが殊勝なことを言い出したので、三人肩を並べて船橋駅方向へ歩いて戻った。コロナ騒ぎがもうすこし収まったら、今度は夜ゆっくりとお会いしましょう。そう言って、塚田駅で止まった電車のなかで分かれた次第だった。



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