豊穣たる熟女たち
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豊穣たる熟女たちと佐倉を歩く



前回会った新年会の席上、豊穣たる熟女たちから佐倉には桜の花は咲くのですかと聞かれた。勿論咲くよと答えたところ、どのくらい綺麗に咲くのですかと重ねて聞くので、小生は両手を精いっぱい広げて、これくらいいっぱいに咲きますよと答えた。すると熟女たちは、そんなにいっぱい綺麗に咲くんでしたら、是非わたしたちを連れてってくださいなと言うので、そのつもりでいたのだったが、今年の桜は例年よりかなり早く咲きそうだと言うので、熟女たちと示し合わせて、三月の二十四日という日に、佐倉まで花見に出かけた次第だった。午前中佐倉で花見をした後、午後には成田山にお参りしましょうというのが、我々のこの日の段取りとなった。

いつものとおりJR船橋駅で待ち合わせ、九時過ぎの京成線特急列車に乗って、九時半ごろ佐倉駅に着いた。駅から佐倉の桜の名所佐倉城址公園までは歩いて十五分ほど。我々は歩いて城址公園に向かった。そしてまず歴史民俗博物館を見物した。この博物館ができたのはいまから三十年ちょっと前の事ですが、その折に佐倉城址公園が洒落た感じに整備されて、多くの桜の木が植えられました。その桜が成長して、春になると素晴らしい眺めを呈するようになりました。歴史が浅いのであまり知られていませんが、知る人ぞ知る花見の名所、いわば隠れた名所になったというわけです。そう小生が熟女たちに説明したところ、熟女たちは揃って感心した顔を見せたのであった。

その桜であるが、まだ満開というにはほど遠い。小生が住んでいる船橋辺りでは昨日開花したばかりだったので、佐倉の桜もあまり期待はしていなかったが、それでも株によっては五分咲き迄進んだものもあり、期待を越えて楽しむことができた。

歴博の中からもそうした桜の咲きっぷりを見る事が出来た。だが熟女たちは歴博の展示を見るのに夢中になって花見のことを忘れてしまったようなので、今日の主な目的は桜の花を見る事ですから、博物館の見物はいい加減なところで切り上げて早く花を見に行こうよと促さねばならなかった。この博物館は気を入れて見ようとするとまる一日かけても間に合わないくらいだから、もし興味があったら後日改めて訪れ、その際には何か一つにテーマを絞って、それをじっくりと見た方がいいよとアドバイスした。

さて桜の花であるが、歴博の建物周辺の桜は株も大きいのがあったりして、なかなか見事な咲きっぷりを呈している。上の写真はその桜をバックにして熟女たちを写したものだ。桜の咲きっぷりがよくわかると思う。なお、城址公園の深いところにある桜の森は、まだ蕾の段階で開花は当分先のことになりそうである。今度来るときはもう少し花が咲き進んだ頃にしましょうと言いながら、我々は城址公園を後にしたのだった。

城址公園を出た後、我々は宮小路方面に向かって歩いた。その途中に佐倉中学校が見える。ここは小生と小生の子どもたちが通った中学校ですと熟女の皆さんに紹介したら、はあ、これが俺たちの中学校ってわけね、と言われた。

宮小路の摩賀多神社付近にたどり着いた頃、皆さんお腹がすいたと言うので、神社の隣にある房州屋というそば屋に入った。中はかなり混んでいる。近くに競争相手となる店がないので、みなここに集中するのだ。このそば屋は小生が子どもの頃からやっている店で、昔はどんな味だったか忘れてしまったが、今日食ったそばはなかなかうまかった。麺は太目で腰があり、味がなかなかよろしい。熟女たちは味にも量にも大満足したようだった。我々は揃って三味そばというのを注文したのだが、これは三つにわんこ盛りにしたそばを、なめこ、とろろいも、てんぷらを添えて喰うという趣向のものだった。

そばを食って腹がくちくなったところで、我々は摩賀多神社の前の狭い道を歩いていった。その道の突き当りに、小生が少年時代に住んでいた家のあった所がある。道の先が小高い丘が突き出たようになっていて、その丘にへばりつくようにして、小生の家族が住んでいた家があった。周りは三方が崖になっていて、孟宗竹が鬱蒼とした林をなしていた。

その家のことは小生の小説「学海先生の明治維新」の中でも登場するので、それとよく対比しながら見て欲しいと言うと、熟女たちは誰もまだ小生のその小説を読んでいないという。それは大変残念なことだから是非読んで見なさい。そう小生は熟女たちに勧めた次第だった。

家の周りの崖をぐるりと回りこんで、鏑木小路というところにある武家屋敷を訪ねた。崖の下にいったん下りて、また急な坂を上がったところに武家屋敷はあった。これらはみな天保時代に建てられた家です。かつて小生が住んでいた家もやはり天保時代に作られたものですので、これらを見れば、小生がどのような環境で育ったかよくわかると思います。そう言ったところが、ここはほんとに静かで動きのないところですね。あなたがボンボンになったはずです、と冷やかされた。

それにしても佐倉という所は起伏の激しい土地ね、と熟女たちが言うので、佐倉の町は馬の背中のような台地の上にあって、周りを崖が取り囲んでいるんだ。しかも馬の背中の上が一様ではなくかなり入り組んでいるので、こんなに起伏が激しいのさ。こういうのを海岸段丘って言うんだ。と小生が説明すると、タモリさんを連れてきたらさぞ喜びそうねと熟女たちは感想を述べたのだった。

再び摩賀多神社に戻り、境内を通り抜けて表通りにいったん出た後、また狭い道を歩いて京成佐倉駅に向かった。途中歩いた道は鬱蒼とした森の中を通っていて、片側の崖に沿って孟宗竹がいっぱい生えている。佐倉は竹の多い土地ですねと熟女たちが言う。そうなんだ、僕は竹に囲まれて成長したんだ、と小生が言うと、熟女たちは、馬の背中で竹を取る、竹取の翁みたいなものね。その竹取の翁の子ども時代だから竹取小僧と言うのでしょうか、あなたの子どもの頃のことは、と言って熟女たちは小生を冷やかすのであった。





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