豊穣たる熟女たち
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豊穣たる熟女たちと箱根に遊ぶ



豊穣たる熟女たちとともに、新年会を兼ねて箱根に一泊旅行をした。宮ノ下の堂ヶ島温泉というところに宿をとり、ロープウェーに乗って芦ノ湖まで足を延ばし、できれば旧街道を歩きたいなどと、なかなか欲張りな計画を立てたのだったが、あいにく旅の直前に大雪が降って、とても登山道を歩く騒ぎではないということなので、出来る範囲で、無理なく歩こうという心つもりで出発した次第だった。

九時頃小田急新宿駅の地上ホームで待ち合わせる。西口だと断らなかったので、M女は南口で待っているという。そこで携帯で連絡しあって一同が揃う。みな雪を憚って厚く着込み、まるで達磨さんのようだ。

九時二七分発のロマンスカーに乗る。平日とあって車内はガラガラだ。四人でおしゃべりをしているうち、T女が携帯を取り出して皆に画像を見せた。覗き込むと、筆者がブログにアップロードしておいた熟女たちの水彩画が乗っている。先日尾瀬に旅した折の様子を描いたやつだ。みなこれが欲しいという。でも一枚の絵を三人で分けるわけにはいかないからなあ。

十一時頃湯本に到着、そのまま反対ホームに停車していた登山鉄道の電車に乗り込む。電車は宮ノ下の手前で三度セットバックし、かなり急な斜面を喘ぐように上って行き、四十分ほどして彫刻の森の停車場に停まった。

さすがにここまで上ってくると、先日降った雪がまだ厚く積もったままになっている。我々は足元に気をつけながら道を歩き彫刻の森美術館に入った。ここの中のレストランで食事をし、三時頃まで見物したあと、旅館へは四時前に入ろうという心づもりでいた。

館内の食堂は二つあった。ひとつは洋風のレストランで、バイキング方式、もう片方は中華料理屋だった。我々は最初洋風の店に入ったのだが、熟女たちはバイキングのメニューが貧弱だといって、中華の方に移ろうという。店員もそれを察してお好きなようにという。そこで中華料理の店に移って東坡肉とフカヒレの小籠包を注文した。これはなかなかの味であった。生ビールがうまい。

食後屋外に展示してある彫刻の数々を見物した。まず正面広場にマイヨールのヘラクレス像とロダンのバルザック像が展示してあり、その奥にはヘンリー・ムーア等の作品が続いている。みな真っ白い雪をバックにしているので、至ってシンプルに見える。ミス・ブラックパワーという巨像の傍らにうつぶせに寝転がった裸体像があったが、これが半ば雪にうずもれて、まるで行旅死亡人のように見えた。

その近くには妊婦の裸体像があったが、これには首がなく、膨れ上がった巨大な腹ばかりが目につくと言った感じだった。下腹部にはご丁寧に割れ目が入れられている。作者はここから子供が生まれてくるということを強調したかったのかもしれない。そこでそのことに注意をうながしたところ、T女が筆者を睨んで、へんなところばかり目につくのねと批判した。

熟女たちが一番気に入ったのはヘンリー・ムーアの家族の像のようだった。小さな子供を挿んで両親が寛いているところを、暖かいイメージで表現している。ムーアの代表作とされるものだ。M女などはこれがすっかり気に入ってしまって、食い入るように見つめては、カワイラシーを連発していた。

ひとおおり彫刻を見終わったところでピカソ館を見物した。ピカソの美術館と言ってもマスターピースは一つもなく、彩色した陶器やら版画の類が展示されていた。だが、ピカソの生涯と創作活動の特徴は手際よくまとめて紹介しており、初心者でも一定程度ピカソのことを理解できるようになっている。そのなかで興味深かったのは、ピカソが何度も結婚し、60を過ぎても子供を作ったことだわと熟女たちはいう。彼女たちには勢力旺盛な男が魅力的に映るようだ。そんな男に筆者などは到底太刀打ちできない。

一周して正面広場に戻ってくると、巨大なサイの像が置いてあるのに改めて気づいた。その象の脇には、人間の顔を横向きにころばした巨大なオブジェが横たわっている。

また、小さな小屋のようなものが二つ並んで立っていて、その間を地下道が結んでいる仕掛けのようなものがあった。熟女たちは俄に冒険心を起こしたらしく、片方の小屋に入ったかと思うや、しばらくして反対側の小屋から出てきた。地下道は非常に狭く短いにもかかわらず、面白い工夫が施されていて、中は真っ暗なのだそうだ。

こんな調子で、雪の積もった野外展覧場を経巡り歩いているうちに、時刻はあっというまに三時を過ぎてしまった。そろそろ宿屋に投じる頃合だ。野外に長居していると体の芯から冷えてしまいそうだ。





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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2012
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