豊穣たる熟女たち
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豊穣たる熟女たちと大いに飲む


新橋駅で下車した我々は、首都高速の高架下にある「土風呂」と言う店に入った。若者向けの居酒屋だが、老人老女にも十分楽しめる店だ。それぞれの席がパーティションで仕切られ、個室感覚なのがよい。今どきは、こうした半プライベートな感覚が大いに流行っているのだという。

早速生ビールで乾杯した。M女だけはいつもの通り、ウーロンハイの思いっきり薄いのをたのんだ。つまみはそれぞれ好きなものを勝手放題にたのんで下さい、まずは、刺身の盛り合わせでもたのみましょう、ということでいつもどおり、わいわいとおしゃべりをしながら、楽しいひと時を過ごしたという次第だ。

今日一日を振り返る。楽しい一日だったわ、と熟女たちが言う。鎌倉のお寺をこんなにまとめて見たのは初めてだし、ガイドさんがいてくれたおかげで、お寺の由緒や歴史も教えてもらえたし、言うことなかったわ、ととりあえず筆者に感謝の意を表してくれた。

それに紅葉がきれいだったわよね、とくに円覚寺のモミジはとてもすてきだったわ。時期が的中したからよね、この前の尾瀬では少し出遅れ気味だったし、青梅の時は早すぎたりで、これまでは余り的中しなかったけれど、今日はずばり的中よ。おかげできれいなモミジを見ることができたわ。

天気もよかったし、青空の下を歩くのは楽しかったわ。尾瀬の時には多少くたびれちゃったけれど、今日は丁度良いという感じ。建長寺の裏山はちょっときつかったけれど、尾瀬のとき程じゃなかった。鎌倉が一望できたんだから、上った甲斐があったよね。

お昼御飯もおいしかったわね。おそばは腰があっておいしかったし、精進揚げもおいしかった。とろろも洒落た味だったし、最後に出てきたおかゆも乙な味がしたわ、おかげでおいしいものでお腹がいっぱいになったわ、と皆さん機嫌が良い。みなさんの機嫌が良いと、筆者はうれしくなるというものだ。

ねえ、あなたはあいかわらずご自分で料理をなさってるの、と熟女たちが聞く。ああ、やっているよ、と筆者は答える。料理するのはもともと嫌いじゃないんだ。気晴らしにもなるしね。ただ単に、食い物を作るというのでなく、そのこと自体が楽しみなんだ。つまり、食事であるとともに娯楽でもある、それがぼくにとっての料理なのさ、と筆者はかさねて答える。

へえ、それじゃレパートリーも増えたでしょ、どんなものが得意なの、と熟女らが聞くから、筆者は日頃作っているメニューや、それらのレシピをネット上で仕入れていることなどを説明した。

料理の話題のついでに食材の話題になり、それがきっかけで筆者は日頃やっている家庭菜園のことを話した。家庭菜園と言っても、筆者の場合は、ベランダの一角に並べたフラワーポットの中で、何種類かの野菜を作っているというささやかなものだ。

今年は、唐辛子やバジルやパセリなんかを作ったんだ。唐辛子もバジルも山のようにできたよ。ところが唐辛子は赤くなったやつを天日で干して乾かして、料理に使ったんだが、これが全然辛くないんだ。どうした訳だろう。辛くない品種だったのかなあ、と筆者がいうと、唐辛子なんだから辛いはずよ、でも他の野菜とくっつけて植えたりすると、辛くならないのかもしれない。逆にシシトウを普通の唐辛子と一緒に育てると辛くなるというじゃない、と熟女たちがいう。

唐辛子と言うものは、上に向かって立つようにならないといけないの、下に向かって垂れ下がるのはだめ、と熟女たちは更に続けて言う。へえ、そうなのか、人間の場合と同じだね、と筆者は苦笑する。人間も立たなければピリッとしないものね。道理で、うちの唐辛子は下を向いていたはずだよ。唐辛子が辛くないのはそのためだったんだ、と筆者は変な納得をする。

そのうち、白子を食べてみようということになった。白子のポン酢あわせだ。出てきた白子はタラの白子のようだったが、それにしてはちょっと硬い気がする。生きのいい白子なら、もっとなめらかな舌触りだもの、と熟女らはなかなかうるさいことをいう。白子と言えばフグの白子しか食ったことのない筆者は、目の前の白子が聊かグロテスクに見える。フグのように表面が滑らかではなく、ごつごつしている感じなのだ。触感が固いのはそのせいかもしれない。

それにしても、魚の白子と言うのは大きいんだね、と筆者は感心していう。人間はこんな訳にはいかないよ。こんなに大量の白子を溜めておくようには、人間は作られていないんだな。そのかわり、常に生産できる能力があり、のべつ幕なしに放出することもできる。だからいつでも女性を喜ばすことができるんだ。魚の場合には、白子を放出するのは一生に一度のことだから、その時に備えてこんなに大きなものを蓄えておく、そうでないと、いざというときに役立たんもんね。

そう筆者がいうと、熟女たちは揃って筆者の顔を睨んだ。このスケベ爺さんが何をおっしゃいますか、というわけである。

白子の次には大蒜の串焼きをたのんだ。筆者のほかにM女とY女もたのんだが、どういうわけかT女だけは頼まない。へえ、大蒜は大好物だったはずだけど、今晩はどうしてたのまないんだい、と筆者が聞くと、大蒜を食べて帰ると旦那がうるさいのよ、息が臭いから近寄るななんていうのよ。だから近寄りたくない時には食べてもいいけど、そうじゃない時には食べないことにしたの、などとノロケをいう。なあんだ、今晩は旦那に近寄ってほしいのか、と筆者はちょびっとくすぐってやった次第だ。

ともあれ、これ以上こんな話をしていると熟女たちに嫌われると思って、筆者は話題を変えて哲学の話などをした。哲学なんてこむつかしく思われるけれど、実はそうじゃないんだ。プラトンにしてもカントにしても、言っていることは大げさに聞こえるけれど、言いたいことは単純なんだ。プラトンのいうエロースとは、我々のいう男女の恋愛と変わらないことだし、カントの言う純粋理性とは、我々の世間知とそう変わらないものなんだ。たとえばカントは、神への信仰は理性の問題ではなく真心の問題なんだと、むつかしい言葉でいったけれど、それは我々が日頃思ったり感じたりしていることを、こむつかしい言葉で言っているに過ぎないんだよ、そんな風に噛み砕いて話してあげたら、熟女たちは目を一様にして、あなたにも少しはおりこうさんらしいところがあるのね、といった顔つきをした次第だった。

こんなわけで、この日も楽しく過ごすことができた。この次は新年会を兼ねてどこかの温泉に浸かりに行こう。のんびり温泉に浸かって、浮世の塵と心の垢を流しましょうよ。そう言いあいながら散会した次第だった。





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