豊穣たる熟女たち
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豊穣たる熟女たちと大いに語る


このたびの旅行は旅館に一泊したとあって、話す時間はたっぷりとあった。日頃おしゃべり自慢の熟女たちのことだ、時間を気にする必要がないとあって、とことんおしゃべりを楽しんだようだ。人間何がくつろぎのタネになるかと言えば、おしゃべりに如くはない。おしゃべりをしている限り、憂鬱な気分に陥ることもなければ、くよくよと下らぬことに気を揉むこともない。人間というものは、しゃべるほどに心が軽くなるように出来ているものなのである。

とにかくよくしゃべる。筆者もおしゃべりは嫌いな方ではないし、男にしては口が軽い方だと自認しているが、その筆者でも、熟女たちのおしゃべりには太刀打ちできない。なにしろ口からのべつマクなしに言葉が飛び出てくる。まるで機関銃の音を聴いているようである。いや、失礼。機関銃の音ではなかった。鈴のように妙なる音と言うべきだろう。

おしゃべりと言っても、彼女たちのおしゃべりは良くある女のおしゃべりのように、人のうわさ話をしたり悪口をいったりするということはない。そんな無駄なことは話さないのである。生活に直結した実用的な話題に始まり、最近見た映画や演劇のこと、うまかった食い物のこと、楽しかった遊びのことなど、いずれも中身のある話をする。むやみやたらと時間をつぶすだけのおしゃべりではなく、内容豊かで、人間性が高まるようなおしゃべりなのである。そんなわけであるから、筆者が時折合の手を入れて、教養の片鱗を披露してやったりすると、彼女たちは有意義な時間が過ごせたと言って、大いに喜ぶのである。それ故筆者も、彼女らとおしゃべりをするのが楽しいというわけなのである。

彼女たちはまた心がやさしいから、筆者が日頃どんな暮らしをしているかについても心配してくれる。とりわけ、毎日の食事をどうしているかとか、お酒を飲み過ぎていないかなどについて。そこで筆者は、自分の食事はなんでも自分で作れるばかりか、料理をするのが楽しいのだと答え、また酒は酔わない程度にそこそこに飲むと答える。どれくらい飲むのかと聞くから、昼には缶ビールのロング缶を一本、晩酌には熱燗を二合、寝る前には寝酒のウィスキーを少々と答える。すると、そんなに飲んだら飲み過ぎです、きっとアル中になって早死にします、程々になさい、と忠告してくれるのである。

特急列車が鬼怒川の流れを横切る。鬼怒川の語源を教えてあげよう、と筆者は言う。もともとは毛野川といった。毛の国を流れる川だからだよ。それがなまって鬼怒川になったんだ。昔は独立した川として銚子で太平洋に流れ込んでいたんだが、徳川時代に利根川と結合されて、今の形になったんだ。へえ、あなたはたいそうな物知りなのね、でも毛の川が鬼怒川になったんだから、なまったというより綺麗になったというのが相応しいわね。

こんな調子で、のべつ何かを話題にして有意義な話をする。それが熟女たちと筆者とのおしゃべりのパターンなのだ。しかし時には脱線することもある。温泉に浸かった後、熟女たちの部屋でウィスキーを舐めつつ、おしゃべりをしていたら、昨年の暮に行った韓国旅行が話題に上って、筆者は料理がいまいちだっただの、街の眺めが日本の都市に似ているなどと話したついでに、垢すりマッサージのことを話したのだった。いつかこのブログでも書いた通り、全身をたわしで擦られてえらい思いをしたのであるが、それを話すと熟女たちは大笑いをするのである。真っ裸にされて仰向けに寝かされ、手や足を広げられて、柔らかい皮膚をたわしで擦られる、それが痛いのなんのって、とくに股下にぶら下げている袋をつまみあげられて、たわしで擦られた時には、袋がやぶけて中の玉が飛び出るのではないかと心配になったよ、と話した場面では、熟女たちは腹を抱えて大笑いをしたのであった。

T女もまた去年韓国旅行をしたが、街の様子はともかく、食事がいまいちだったわと言った。とくに朝ご飯が物足りなかったの。筆者の時と同じように、ホテルではなく外食専門店で朝飯を食べたそうなのだが、食べ放題だと歌っていたキムチはあっという間になくなってしまい、おかゆのお代わりもできなかった。そこで、あんなのインチキだわ、と食い物の恨みを力強く述べた次第なのだが、それを脇に置けばなかなか楽しかった、遊ぶことの喜びを満喫できました、という。

M女は根が生真面目だから、遊ぶことの喜びではなく、働くことの喜びについて語る。秋田で生まれて東京へ出てきて以来、彼女の人生は働きずくめだった。しかし彼女にとっては、働くことこそが生きていることの証しであり、また喜びでもあったというのだ。普段はノンシャランとして何も気にかけない様子に見える彼女なのだが、芯が一本通っているという感じだ。働くことがあまり好きではなく、したがって60を過ぎていくばくもなくして隠居生活に入ってしまった筆者などとは、いささか価値観が違うのかもしれない。いずれにしても殊勝な心がけだ。

Y女は、働くことが決して喜びにつながるわけではないが、何もしないでいるよりは、体を動かしている方が好きだという。たまの休みにも、嫁さんから孫の面倒を頼まれて、結局は休む間もない一日になったりするけど、それも大して苦にはならない。根が貧乏性だからですね、と笑う笑顔が殊勝だ。

でも、こうしてたまには泊りがけの旅をして、息を抜くのは素晴らしいことですわ、とY女が続けて言うと、M女が今後も年に一度くらい、このメンバーで旅行を続けたいわね、と言い出した。

そんなわけで、帰りの新幹線の車内では、次はどこに旅行しようかという話題に熱中した。今度はあまり歩かずに、一日中のんびりと温泉に浸かるなんてのもいいわよね、と熟女たちが言うので、それなら自分たちでどこに行きたいかよく考えて、プランを練ってごらんよ、思いっきり鄙びた湯治場のようなところも風情があっていいと思うな、ところによっては半年くらい前に満室になってしまうから、なるべく早く決めたほうがいいかもよ、と筆者は忠告した。

その前に、今年の秋に日帰りのピクニックにいきましょうよ、というので、そうだね、どこか紅葉のきれいなところにいこうか、鎌倉なんかもいいかもしれないね、と筆者はいった。

こうして無事旅を終えた我々は、東京駅に着くと八重洲地下街のすし屋に入って、寿司を食べながら最後のおしゃべりをした次第だった。別れ際に熟女たちに向かって、明日は休暇をとってあるのかいと聞いたところ、M女とY女はあらかじめ休暇届を出してあるそうだが、T女の方は出勤しなければならぬという。そこで、それはたいへんご苦労様ですというと、いいわねあなたは、毎日が日曜日なんだから、と切り返されたのだった。





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