豊穣たる熟女たち
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豊穣たる熟女たちと御岳の河鹿園に憩う


御岳駅で下りて河鹿園の入り口に着くと、何々様御一行大歓迎と大書されている。わずか三人で御一行でもないだろうが、悪い気はしない。中から女将が出てきて、座敷へ案内してくれる。多摩川の渓谷が一望できるところだ。

席に着くと亭主が出てきて、おあいにく様でしたと挨拶をした。梅を見に来たことをあらかじめ告げていたので、開花が遅れて梅を見られなかったことを、気の毒がっているのだ。今年は異例の寒さのために開花が大分遅れました、こんなことは10年以上なかったことです、と頻りに同情する。まあまあ、梅はまだまだでしたが、鶯の鳴き声は聞けたし、なかなか楽しかったですよ、筆者は恐縮して答えた次第だ。

窓から渓谷の光景を見下ろすと、渓流には大勢の人々がいて、めいめいに釣りをしている。誰かが釣り上げたところが見えたが、釣り上げられた魚は結構大きい。ニジマスだろう。仲居さんに聞くと、今日から解禁になったそうだ。

ここには以前にも来たことがあるの?と二人が聞く。ああ、何度もあるよ。御岳山の上にちょっとした宿坊の集まりがあるんだが、自分が現役時代都教委の仕事をやっている頃に、その宿坊をひと夏の間全部借り切って、公立学校の教員を順次集めては、研修をやった。教員は入れ替わり立ち代わり交代したが、自分は研修の主催者の立場だから、ずっとそこに詰めている。そんなわけで、ここへは随分と来たものさ。

この河鹿園にも一度だけ入ったことがあった。研修の仕事の打ち上げで、ここで昼食会をやったんだ、渓流を眺めながらの、のんびりとした食事の雰囲気が印象に残っていて、それで今回も使ってみようという気になったんだ。そういうと、二人は納得した表情を見せた。

注文していた会席料理が順次運ばれてきた。山中のことだから山菜を使ったものが多い。あゆも出てきたが、まだ季節には早いために、稚あゆの、しかも干物だ。だが姿にかかわらず、味はよい。汁には緑色の饅頭のようなものが入っている。食うと豆腐のような味がしたが、仲居さんに聞くと、えんどう豆をつぶして濾したものだそうだ。

途中からビールを熱燗に変え、ちびりちびりと楽しんだ。T女も盃を取る。M女のほうは相変わらずの下戸ぶりで、茶を飲むばかり。仕上げには炊き込み飯が、竹の皮に包まれて出てきた。そういえば、ユキノシタの葉っぱをうけ皿がわりに使ったり、ここは自然の恵みを心憎く演出しているな、と感じた次第だ。

炊き込み飯のほうは、ごぼうと油揚を混ぜただけのシンプルなものだ。ごぼうの香りが何ともいい。ところがこれを、ごぼうではなくマイタケだとM女が言いだした。マイタケにはこんな香りはないし、マイタケを混ぜるとご飯が黒くなるというわ、とT女が反論する。M女がなかなか納得しないので、結局仲居さんに裁定してもらった。

二人とも、話にすっかり打ち興じて、個人的なこともどんどん出してくる。T女は毎年の自分の誕生日に、娘からお祝いを貰うのを楽しみにしていたが、花や品物では飽きたので、今年は変わったものが欲しいとねだったところ、浅草今半の食事券をくれたそうだ。亭主の分も含めて二万円分だったけれど、足りない分は足し前して、亭主を連れておいしいものを食べに行こうと思うのよ。

それを聞いたM女は、今半に行くならしゃぶしゃぶを食べたほうがいいよ、あそこのしゃぶしゃぶは最高だから、と口を挿む。

すっかりいい気持になって、旅館を辞した後、渓流に下った。以前は、橋を渡るとすぐ袂に、渓流に下りる小道がついていたが、いまは閉鎖されて、大回りをしなければならなくなっていた。

渓流の水は流れが早かった。見るからに冷たそうだ。そんな冷たい水の中に、人々は膝の下あたりまで入って行って、釣竿を伸ばしている。かなり長い竿だ。筆者は渓流釣りはやったことはないが、なかなか面白いものらしい。

まず河合玉堂記念館に入った。80歳を超えて書かれた絵が何点か展示されている。老いてなお大した勢いだとみな一様に感心する。中にさっき食った稚あゆの干物とそっくりなのを描いたものがあった。地元の人たちは、昔から稚あゆの干物を食っていたのだということを伺わせて面白い。

折角だから、このまま渓流沿いの道を歩いて沢井まで行こうということになった。人がやっとすれ違えるほどの細い道が渓流にそって附けられていて、歩くにはもってこいだ。

御岳から沢井の間、ほぼ隙間なく人々が岸辺を埋めていた。結構釣れている様子だ。中には、釣りではなくて、岩場でロッククライミングの練習をしている団体があったり、バーナーで料理の真似をしている団体があったりで、それぞれ思い思いに休日を楽しんでいるといった風情に見えた。

歩き始めて25分で、沢井の駅の直下にたどり着いた。ここには沢の井の蔵元がある。以前そこに入って振る舞い酒を飲んだことがあった。付近の旅館に職場の連中と一泊し、その翌日ここをたずねたのだった。その折に泊った旅館は、離れ座敷様式で、なかなか風情に富んでいた。

酒蔵の中には一時間おきに案内し、一周45分かかりますとある。もう4時近くになっているので、今日のところは見送ろうと、おもての土産物屋を覗くにとどめ、それぞれに土産を買い求めて、電車に乗った次第だった。

おかげさまで、楽しい一日でしたわ、と二人とも大満足、筆者も彼女らに喜んでもらって、嬉しい限りだ。

ところで、もしよかったら、次は四人そろって一泊旅行をしたいわね、とM女が言いだした。三人の都合がつくのだったら、ぼくはいつでもお付き合いするよ、と筆者は答えた。すると二人とも、すっかり乗り気になったようで、Y女もきっと行きたがると思うから、是非そうしましょうよ、ということになった。

そうだね、キスゲの花の咲く頃に、尾瀬へでも行ってみようか。桧枝岐温泉で一泊し、翌日バスで沼の近くまで行けるコースがあるから、そんなに無理をしないでも歩けるよ、きっと楽しいと思う。筆者はそういって、いずれ詳細を詰めて連絡すると約束した。(写真は渓流から見上げた河鹿園)





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