豊穣たる熟女たち
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豊穣たる熟女たちと中華料理の続きを食う:新橋亭にて

巨大な震災が東日本を襲ったあの運命の日に、筆者は例の豊穣たる熟女たちとともに横浜の街を散策していた。そして中華街のある店で中華料理を食っていたときに、すさまじい地震に見舞われたのだった。筆者らは事態の容易ならざるのを直感し、直ちに避難行動をはじめたが、その折の様子についてはこのブログの中で詳細に記録したところだ。

あの日は本当に長い一日だった。長くて色々なことがいっぱい詰まった一日だった。その日に体験した出来事は、今でも鮮明に覚えている。とりわけ、料理を盛った皿がテーブルの上で激しく揺れ、壁際の棚からは食器が飛び散っていた光景など、ありありと思い出される。筆者らはそのために折角の中華料理を最後まで食うことができなかったのだった。

そこで食えなかった中華料理の続きを食いながら、あの日の出来事を語ろうという趣旨で、4人が集まった。場所は新橋の中華料理屋新橋亭だ。

席に着くやいなや、T女が筆者に向かって不平をいった。あの日のことをブログに書いたりするもんだから、困ったじゃないの、わたしたちはみな、職場にはもっともらしい口実を言って休んだのに、4人で遊んでいたことがばれちょうでしょ、というわけだ。

なあに、僕のブログを読んでる奴なんか、ウチの会社にはいないよ、だから心配しなさんな、と筆者は慰めた。実際それらしきことをほのめかされたことはなかったというから、そんなに神経質になることもないわけだ。

あの日、T女とM女は、曙橋のT女の娘の家に、明け方の3時過ぎにたどり着いたということだ。短いながらも仮眠し、次の日二人とも新宿線に乗って出勤したそうだ。途中同僚にハチあわすかもしれないと思って、気を使ったという。M女のほうは、幸いに次の日は出勤日ではなかったので、帰宅後ゆっくりと寝たそうだ。

筆者はその日の写真を収めたCDを三人に配り、あとでゆっくり見てほしいといって、ビールで乾杯した。コース料理の手始めはフカヒレだ。なかなかうまい。彼女らも満足げに食いながら、横浜のフカヒレよりボリュームがあるわなどと感心する。地震が来るのがわかってたら、もっとフカヒレを食べておけばよかったと思ってたのよ、今日は満足だわ。

でもあの日はタクシーを捕まえることができて本当にラッキーだったわ、と三人が口をそろえて言う。でなければどうなっていたかわからない。ホテルだっておそらく泊まれなかったでしょうから、横浜で一夜を明かす羽目になったかもしれない。そうなってたら、ちょっとしたスキャンダルに発展したかもしれないしね、考えるとぞっとするわ。

そのうち追加の料理が次々と出てきた。北京ダックも出てきた。それらをほおばりながら、熟女たちの話はいろいろな方向に展開していく。筆者もその話の輪に加わる。

人間いつ不幸な目に遭うかもしれないんだから、お互いまだ身体が丈夫なうちに好き勝手なことをしておいたほうがいいよ。僕は来年あたりにはリタイアして、しばらくニューヨークにでも滞在しようかと思ってるんだ。

ヘエ、素敵だわね、ニューヨークでは何をするおつもり?

もちろん恋をするのさ。

わたしたちも今夜はフカヒレをいっぱい食べたおかげで、明日はお肌プルンプルンになりそうだわ、そしたらきっともう一度男に惚れられるわよ。

その心意気が大事だ、人間いくつになっても、口腹の楽しみとセックスの喜びを忘れてはいけない。

こんな調子で話ははずむ。いつものとおりだ。

新橋は東京で最大の飲み屋街なんだ。また昔租界があった事情で中華料理屋が多いんだ。こう筆者が言うと、熟女たちは、新橋といえばガード下の飲み屋さんが有名なんでしょ、わたしらまだ見たことないけど、という。

そこで、有楽町までガード沿いに歩きながら、社会科見学をしようということになった。店を出ると外は雨が降っていたが、そんなに激しい降り方ではない。我々は傘を並べて、ガード沿いに有楽町方面へと歩いていった。雨天にかかわらず繁盛している店が多い。その様子に熟女たちは大いに感心したようだった。

我々も今度は、ここのガード下でいっぱいやることにしよう、と筆者が言うと、色んな店をはしごして歩きましょうよ、と熟女たちが応えた。





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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2012
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